足守ふる里散策コース

足守駅を起点にし、足守川の堤を上流に歩き、足守の商家の町並み、足守藩侍屋敷、近水園、葦守八幡神社をへて、足守駅に戻る9.6kmの散策コースです。
草花、川辺の野鳥を見ながら堤の散策、江戸末期の町並み、木下藩の侍屋敷・近水園、シーズン的には春がお勧めです。このハイキングコースは、自然な形で残されている足守川沿いの散策です。里山の吉備路でも珍しくなったホタルを積極的に保護してきています。

足守駅から足守へ

足守駅で下車し、足守川堤防の車道を川上に歩く。1km歩くと車道は、川から離れていくが、散策コースは堤防上の道を取る。
堤には、タンポポ、・・雑草が花をつけていた。堤の所々に桜が植樹されており、八分咲きである。
アオサギ、シラサギ、廻り淵の手前でカワセミが飛ぶ姿を見た。この辺りの川は、自然な状態で残されており、魚も生息しているのだろう。現在では珍しい蛍の生息地として保護されている。

足守の町並み

再び車道に戻り少し歩くと、足守の町並みに入る。足守は、江戸時代、豊臣秀吉の正室北の政所の兄に当たる木下家定が足守藩をつくり、木下家代々の藩主によって陣屋町として栄えてきた。
漆喰のナマコ壁に格子窓、丸瓦の屋根、江戸時代の商家、町並みが積極的に保存されている。公共の建物も周囲の景観を壊さないように、調和されている。

藤田千年治邸

醤油製造業を営んでいた「藤田千年治店」が、現状保存されている。江戸末期の建物とともに、内部には当時使用されていた醤油製造設備が展示されている。足守の町並みは、ここに住んでいる地元の方の協力で保存されている。

足守侍屋敷

駐在所とは気づくかないような駐在所の手前を左に曲がると、足守藩国家老の屋敷が保存されている。ナマコ壁の長屋門が象徴的である。
右側に足守小学校があり、荒割りの石柱の仕切りは開放感がある。校庭の片隅に、今では珍しくなった二宮金次郎の銅像を見かけ、なにかしら郷愁を覚えた。
足守藩侍屋敷は、ページ「足守藩侍屋敷と木下家」を参照

木下利玄の生家

小学校の校庭の角を右に曲がると、木下利玄の生家に出る。木下藩主の子孫で、白樺派の歌人として有名で、近水園の鶴島に歌碑が立てられている。
  花ひらを ひろけ疲れし おとろへに
         牡丹おもたく 萼をはなるゝ
                     利玄
この地から、緒方洪庵が生まれている。江戸で蘭学を学び、蘭方医として大阪で適塾を開き、西洋医学の普及と幕末・明治維新のリーダーを育てている。

近水園

木下利玄の生家を通り過ぎると、近水園(おみづえん)に着く。足守藩主木下家の池泉回遊式庭園で、秋の紅葉は有名である。池に面して数奇屋作りの吟風閣が建つ。
近水園の東側へ出ると、足守川の堤である。堤の桜並木は、八分咲きであった。河川敷で、毎年さくら祭りが行なわれている。

葦守八幡宮本殿

桜並木の堤沿いに下る。葵橋を過ぎて、堤沿いの自転車道を宮地橋まで歩く。宮地橋を渡り、真直ぐに葦守八幡宮を目指して歩くと、幼稚園と反対側に石造りの太鼓橋と鳥居、八幡宮へ行く石段がある。石段を登りきると、葦守八幡宮の横手の広場に出る。
葦守八幡宮の歴史は古く、応神天皇の時代(3世紀頃)には存在していたといわれている。

葦守八幡鳥居

参拝し、拝殿から真直ぐにのびた、石段と坂道を降りる。途中にクヌギの大木がある。400m歩いたところに、正門の鳥居がある。
なんでもないような石造りの鳥居であるが、銘の入っている鳥居としては、日本最古の鳥居だそうだ。
鳥居の前の車道を右に折れ、真直ぐ行くと足守川沿いの自転車道に出る。来た時とは反対側の堤を川の流れに沿って歩く。生石神社の横を通り、吉備線の下をくぐり、足守川を渡ると足守駅である。



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