足守駅で下車し、足守川堤防の車道を川上に歩く。1km歩くと車道は、川から離れていくが、散策コースは堤防上の道を取る。
堤には、タンポポ、・・雑草が花をつけていた。堤の所々に桜が植樹されており、八分咲きである。
アオサギ、シラサギ、廻り淵の手前でカワセミが飛ぶ姿を見た。この辺りの川は、自然な状態で残されており、魚も生息しているのだろう。現在では珍しい蛍の生息地として保護されている。
再び車道に戻り少し歩くと、足守の町並みに入る。足守は、江戸時代、豊臣秀吉の正室北の政所の兄に当たる木下家定が足守藩をつくり、木下家代々の藩主によって陣屋町として栄えてきた。
漆喰のナマコ壁に格子窓、丸瓦の屋根、江戸時代の商家、町並みが積極的に保存されている。公共の建物も周囲の景観を壊さないように、調和されている。
醤油製造業を営んでいた「藤田千年治店」が、現状保存されている。江戸末期の建物とともに、内部には当時使用されていた醤油製造設備が展示されている。足守の町並みは、ここに住んでいる地元の方の協力で保存されている。
下水道工事で、車道はつぎはぎで、町の景観を壊していたが、いずれ町並みに調和した路面となることと思う。
駐在所とは気づくかないような駐在所の手前を左に曲がると、足守藩国家老の屋敷が保存されている。ナマコ壁の長屋門が象徴的である。
左側に足守小学校があり、荒割りの石柱の仕切りは開放感がある。校庭の片隅に、今では珍しくなった二宮金次郎の銅像を見かけ、なにかしら郷愁を覚えた。
小学校の校庭の角を右に曲がると、木下利玄の生家に出る。木下藩主の子孫で、白樺派の歌人として有名で、近水園の鶴島に歌碑が立てられている。
花ひらを ひろけ疲れし おとろへに
牡丹おもたく 萼をはなるゝ
利玄
この地から、緒方洪庵が生まれている。江戸で蘭学を学び、蘭方医として大阪で適塾を開き、西洋医学の普及と幕末・明治維新のリーダーを育てている。
木下利玄の生家を通り過ぎると、近水園(おみづえん)に着く。足守藩主木下家の池泉回遊式庭園で、秋の紅葉は有名である。池に面して数奇屋作りの吟風閣が建つ。
近水園の東側へ出ると、足守川の堤である。堤の桜並木は、八分咲きであった。河川敷で、毎年さくら祭りが行なわれている。
桜並木の堤沿いに下る。葵橋を過ぎて、堤沿いの自転車道を宮地橋まで歩く。宮地橋を渡り、真直ぐに葦守八幡宮を目指して歩くと、幼稚園と反対側に石造りの太鼓橋と鳥居、八幡宮へ行く石段がある。石段を登りきると、葦守八幡宮の横手の広場に出る。
葦守八幡宮の歴史は古く、応神天皇の時代(3世紀頃)には存在していたといわれている。
参拝し、拝殿から真直ぐにのびた、石段と坂道を降りる。途中にクヌギの大木がある。400m歩いたところに、正門の鳥居がある。
なんでもないような石造りの鳥居であるが、銘の入っている鳥居としては、日本最古の鳥居だそうだ。
鳥居の前の車道を右に折れ、真直ぐ行くと足守川沿いの自転車道に出る。来た時とは反対側の堤を川の流れに沿って歩く。生石神社の横を通り、吉備線の下をくぐり、足守川を渡ると足守駅である。

足守川は吉備高原を源流とし、灌漑用水の黒谷池を通り、浮田川、日近川と合流し、近水園の側を流れ、砂川・前川と合流し、最後は笹ケ瀬川に合流し、児島湖に注ぎます。古代の吉備文化を支えた河川です。
上流から吉備線足守駅までは、比較的昔ながらの土手が残る数少ない川です。足守駅から下流は、河川改修がおこなわれていてコンクリートブロックの川になっています。地域の方々は、足守川を自然な状態で残すように努力されています。里山の雑木林と同じように、日常生活で使われなくなった川は、雑草が生い茂り、1970年頃の面影はありませが、多くの自然と生態系が残っています。
近水園の東側は、足守川である。堤に桜並木が続いている。近水園と河川敷で、毎年さくら祭りがおこなわれる。
近水園(足守川)の桜 2007.4
自然な川のバロメータである「ホタル」の保存活動に取り組んでおられ、近水園より上流の足守川およびその支流で観察できます。
ホタルの乱舞 足守川粟井 2007.6
黒谷池は灌漑用の池として1931年に造成され、その後改修され1990年に現在のダム形式になりました。
黒谷池 2008.1
黒谷池にオシドリが100羽ほど飛来していました。黒谷池とその周辺には、オシドリが越冬するのに適した自然が残っているのでしょう。
黒谷池のオシドリ 2008.1
足守川には、田んぼに水を引き込むための堰が多くあり、堰の上・下流は年中水があり、魚が生息しています。小魚を主食にするカワセミの生息環境が足守川には残っています。
足守川粟井 2007.12