
数人の女学生と一緒に服部駅に降りる。岡山県立大学この地に設立されて十数年になる。
服部駅から北に進み、岡山自動車道の高架下を西に曲がり、次の四つ角を北に曲がって進むと、砂川公園に続く道に至る。
北方の山頂には、鬼の城が見える。道沿いに、その地域で取れた野菜や柿を売っているビニールハウスを過ぎると、砂川公園である。
砂川公園一帯は、公設のキャンプ場(有料)が整備されており、野外活動には最適の場所である。訪れたのは、11月の中旬で、野外活動のシーズンは終わっていた。
この写真は、7月のキャンプ場の写真で、水遊びしている子供の姿も見える。4〜6月の早朝には、うぐいす、しじゅうから、カワラヒワなど野鳥のさえずりを聞くことができる。
自然の川と池を利用したウオータースライダーである。夏には、バーベーキューと水遊びに歓声をあげている子供たちがいる。
砂川公園・砂川の森は、砂防対策として、植林および自然と共存させた築堤を積極的に活用した自然公園である。「水に親しみ」「野鳥の声を聞き」「森とふれあい」「太陽の光を浴び」身近なところで自然を満喫できる。
砂川公園から少し歩くと、分かれ道にくる。右側は鬼の城へ行く道であるが、今回は、真直ぐに砂川の森へ進む。左手に、「砂川の森歩道入り口」の小さな標識がある。この道は「四季の森」の遊歩道を経て「ふれあい広場」にでる。車道を歩くと、砂川の森の駐車場を経て「ふれあい広場」にでる。
「せせらぎの森」に植樹された「もみじ」が、真っ赤に紅葉していた。今の季節は、訪れる人は少ない、隠れた紅葉のスポットである。
砂川の森からゴルフ練習場の横を通って、宝福寺へ向かう。交通量の少ない下り坂の一本道である。
坂を下りきった三叉路で秋葉山の方へ北に曲がり、50m先の三叉路で西に曲がって峠を越える。この峠越えの道は、最近できた道で、Googleの地図に載っていない。伯備線のトンネルの上を越え、廃止になった旧雪舟荘の横を通り、宝福寺の裏側の駐車場に出る。
宝福寺は、臨済宗東福寺派の禅寺である。室町末期の戦火により、三重塔を除いてすべて消失し、江戸時代の中期にほぼ現在の姿に再興されている。
平素は、静寂の中に厳かな境内であるが、この「もみじ」のシーズンは駐車場は満杯で、警備員が交通整理に当たっていた。この日曜日は紅葉の見ごろで、境内は・紅葉を楽しむ人・写真をとる人・カップルで散策する人、人それぞれであった。
室町時代の水墨画の画聖
雪舟の絵画は、国宝に6点、重要文化財に多数指定されている。
備中の国 赤浜(総社市赤浜)に生まれる。11歳の頃、宝福寺に入り僧となる。

修行をあまりしないで、絵ばかり描いていたので、和尚にしかられて、本堂の柱にしばられた。流した涙で描いたネズミが動いているように見えたとの逸話は有名である。

宝福寺は、鎌倉時代に創建された臨済宗東福寺派の名刹です。雪舟が入僧した頃の宝福寺は、現在の何倍もの規模で隆盛を極めていた。
その後、京都の相国寺、周防の国大内氏の絵師となり、明国に渡り、修行を積む。
帰国後、名作を数多く残す。
境内に雪舟碑が建っている。建立されたのは、昭和6年であるが、文は吉備津神社の神官で国学者の藤井高尚、題字の書は頼山陽、彫刻は田鶴年によるものである。

1420年 備中赤浜に生まれる
1431年 宝福寺に入り僧となる
その後、京都相国寺に移る
1464年 周防の国大内氏に身を寄せる
1467年 明国に渡る。
1469年 帰国
数多くの名作を残す
1506年 雪舟 没す(享年87歳)