10月のある日、備中高松駅をスタートし、国分寺散策コースへ!
高松中学校の交差点を南に折れると一本道である。高速道の下をくぐると、足守川に出る。冬鳥のカモの一陣が飛来している。この川では、カワセミを観察できる。中村橋の前方に、こんもりとした丘陵が見える。最初の目的地、造山古墳である。稲刈りの最中で、コンバインのそばには、サギがたむろっていた。造山古墳(岡山市新庄下)は、全国4位の規模の前方後円墳である。駐車場の横の道から、石段を上ると、古墳の背中に上ることができる。昔、畑にされていたところに、桜が植えられている。
全長360mの前方後円墳で、5世紀前半に構築されたそうである。古墳の前方部に「荒神様」が建っている。現在も信仰されている現役の神社である。自由に入ることができる古墳はめずらし。大きなどんぐりを拾いながら、南側の石段を降りる。六基の陪塚があり、石段からの眺めに趣を添えている。自生の昼顔、熟した柿に沿った古墳の南側の小道を歩く。畑の野菜、果樹、黄色に実った稲を見ながら、吉備路自転車道にでる。
造山古墳の衛星写真へ
ラーメン屋と和そば店の側を通り過ぎて、北に上がると松林に入る。林の中に、黒塗りの説明板が点々と立てられている。ここに伽藍があったことをしのばせる礎石が整然と残っている。境内は東西108m、南北225mの広さで、奈良の都の寺院にも匹敵する巨大なものであったようだ。
国分尼寺跡の南側の小道を北西に300mほど歩き、県立吉備路郷土館へ行く。
県立吉備路郷土館の敷地内に、旧山手村役場と旧松井家の民家が移設されている。いずれも江戸時代末期に立てられたもので、茅葺屋根は郷愁をさそう。旧山手役場は、明治35年から昭和43年まで使用されていたのは驚く。
南側に紅・白の梅園があり、開花時には、茅葺屋根を背景にした写真スポットである。両側に池があり、自然と調和したベンチが整備されていて、弁当を広げるのも良いところだ。吉備路郷土館には、古墳時代の出土品を中心に展示説明されてる。
吉備路郷土館から池沿いに林の北側の小道を歩く。この池の北側に「松井」の井戸が残っている。今は、使われなくなた古井戸であるが、後白河天皇が即位されたときの大嘗会の時に藤原茂明が詠んだ和歌が伝えられている。
むすびあぐる 松井の水は 底清み
うつるは君が 千代のかげかも
名水であったことがうかがえる。
コスモスの花を左手に見ながら、こうもり塚古墳へは、林の南側から入る。こうもり塚古墳は、六世紀後半に自然の丘陵を利用した前方後円墳で、石室の内部に入ることができる。立派な石室である。
こうもり塚古墳を下りてくると、西側に国分寺が広がる。国分寺・国分尼寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願によって建立されたものである。創建当時の伽藍は、南北朝時代の兵火によって消失した。
その後、廃寺となり、江戸時代の中期に領主蒔田家の援助を得て、日照山国分寺として再興されている。
現存の五重塔は、江戸時代に再建されたもので、平成になって解体修理されている。
山門を入ると、正面に茅葺の客殿、東に本殿、西に庫裏・表書院が配置されている。西の庭には、丹精な松がそびえ、後ろに五重塔が青空に向けて突き抜けている。国分寺の南側を旧山陽道が通っており、交通の要衝であったと思われる。
五重塔を中心にした風景は、吉備路の象徴である。梅、菜の花、さくら、桃の花、れんげの花、水田、黄金の稲穂、柿、夕日、日の出と写真の題材に事欠かない。国分寺周辺の田畑・集落は、この景観を後世まで保存するように日々努力されている。ゴールデンウイークには、国分寺周辺で催し物が行なわれる。
国分寺の四季
国分寺から自転車道を歩き、2車線429号を渡ると、西側正面が作山古墳である。
時間があれば、南に700mのところに角力取山古墳に訪れてみよう。田んぼの中に大きな松の木がそびえているので、すぐわかる。現在では、大松は1本のみであるが、すばらしい松なので見ておこう。全国でも珍しい方形古墳である。古墳の西側に土俵を設け、氏神の秋祭りに奉納角力が行なわれていたことから角力取山と呼ばれるようになったと言われている。
この散策で最初に訪れた古墳が造山古墳(岡山市新庄下)で、この古墳は作山古墳(総社市三須)である。岡山県下では、造山古墳に次いで第2位の規模である。古墳の裾野の道を、時計回りに歩き、西側の駐車場に出る。ここから、前方後円墳へ上がることができる小道がある。
丘陵の裾野に沿って北へ向かって歩き、総社宮へ向かう。
作山古墳および周辺の丘陵の裾野を一周して石仏が祭られている。石仏の傍らには、四国八十八ケ所の寺の名前が書かれた表札がついている。地元の方に祭っているいわれを尋ねると、「いつ頃かは、はっきりしないが、この地域に疫病がはやり、石仏を祭るようになった。」とのことである。石仏ごとに、それを祭る家が決まっているとのことである。歩きながら、四国八十八ケ所巡りをしているような気分になる。
2車線のバイパスを渡って、溝沿いを歩くと、市役所通りのパチンコ屋の角にでる。西に少し行ったところに、和菓子の平川がある。土産に饅頭を買う。洋服の青山を西に過ぎて、次の信号を北に曲がって、400m先に総社宮がある。
岡山県古代文化財センターの調査では、弥生時代からこの地に、稲作が伝わってきていたようです。
平安時代に、吉備にかかる枕詞として「真金吹く吉備の中山」と詠われており、「真金吹く」は製鉄が盛んなことを示しています。豊富な鉄を使って、農具が造られ、稲作がおこなわれていたようです。江戸時代まで経済の中心は、米に基礎を置いていました。
6月〜10月は、稲の生育を観察しながら、散策することができます。
4月上旬に「もみ(稲)」が蒔かれ、苗床で育てられます。
田植え前の苗床
5月下旬〜6月上旬かけて田植えが行なわれます。現在では、機械化されていて、家族総出で水田に入って田植えをする光景はありません。
機械化された田植え
稲は南アジア原産で、夏の暑いときに、稲株が殖え、大きくなり成長します。
成長している稲(7月中旬)
8月下旬〜9月上旬にかけて、稲穂が伸び、稲の花が咲きます。この時期は、稲作にとって重要なときですが、台風が来襲するシーズンです。立春から数えて二百十日(9月1日頃)が、台風来襲の特異日になっています。
穂が出揃った稲(9月中旬)
実が成熟し、黄金色に輝いています。大きな台風が来なかったおかげで豊作のようです。
刈取り前の稲(10月上旬)
10月中旬頃、コンバインで稲を刈取りと同時に脱穀されます。
国分寺前での収穫(10月中旬)
脱穀された「もみ」は乾燥され、もみ摺り機で「もみ殻」を取り除きます。この状態を「玄米」といいます。
玄米の状態で保存され、食べる時期に合わせて、その都度、精米機で精米され「白米」になります。