国分寺散策コース

備中高松駅を起点に、造山古墳、国分尼寺跡、旧山手役場・県立吉備路郷土館、国分寺、作山古墳、総社宮を経て東総社駅までの11.1Kmの散策コースです。吉備路の代表的なハイキングコースで、中心は国分寺とその周辺の古墳で、国分寺の風景は吉備路の写真撮影スポットです。

備中髙松駅から造山古墳へ

備中髙松駅をスタートし、国分寺散策コースへ!
高松中学校の交差点を南に折れると一本道である。高速道の下をくぐると、足守川に出る。冬鳥のカモの一陣が飛来している。この川では、カワセミを観察できる。中村橋の前方に、こんもりとした丘陵が見える。最初の目的地、造山古墳である。稲刈りの最中で、コンバインのそばには、サギがたむろっていた。造山古墳(岡山市新庄下)は、全国4位の規模の前方後円墳である。駐車場の横の道から、石段を上ると、古墳の背中に上ることができる。昔、畑にされていたところに、桜が植えられている。

造山古墳山頂のお宮

全長360mの前方後円墳で、5世紀前半に構築されたそうである。古墳の前方部に「荒神様」が建っている。現在も信仰されている現役の神社である。自由に入ることができる古墳はめずらし。大きなどんぐりを拾いながら、南側の石段を降りる。六基の陪塚があり、石段からの眺めに趣を添えている。自生の昼顔、熟した柿に沿った古墳の南側の小道を歩く。畑の野菜、果樹、黄色に実った稲を見ながら、吉備路自転車道にでる。

国分尼寺跡

ラーメン屋と和そば店の側を通り過ぎて、北に上がると松林に入る。林の中に、黒塗りの説明板が点々と立てられている。ここに伽藍があったことをしのばせる礎石が整然と残っている。境内は東西108m、南北225mの広さで、奈良の都の寺院にも匹敵する巨大なものであったようだ。
国分尼寺跡の南側の小道を北西に300mほど歩き、県立吉備路郷土館へ行く。

旧山手役場

県立吉備路郷土館の敷地内に、旧山手村役場と旧松井家の民家が移設されている。いずれも江戸時代末期に立てられたもので、茅葺屋根は郷愁をさそう。旧山手役場は、明治35年から昭和43年まで使用されていたのは驚く。
南側に紅・白の梅園があり、開花時には、茅葺屋根を背景にした写真スポットである。両側に池があり、自然と調和したベンチが整備されていて、弁当を広げるのも良いところだ。吉備路郷土館には、古墳時代の出土品を中心に展示説明されてる。

こうもり塚古墳

吉備路郷土館から池沿いに林の北側の小道を歩く。この池の北側に「松井」の井戸が残っている。今は、使われなくなた古井戸であるが、後白河天皇が即位されたときの大嘗会の時に藤原茂明が詠んだ和歌が伝えられている。
   むすびあぐる 松井の水は 底清み
       うつるは君が 千代のかげかも
名水であったことがうかがえる。
コスモスの花を左手に見ながら、こうもり塚古墳へは、林の南側から入る。こうもり塚古墳は、六世紀後半に自然の丘陵を利用した前方後円墳で、石室の内部に入ることができる。立派な石室である。

国分寺五重塔

こうもり塚古墳を下りてくると、西側に国分寺が広がる。国分寺・国分尼寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願によって建立されたものである。創建当時の伽藍は、南北朝時代の兵火によって消失した。
その後、廃寺となり、江戸時代の中期に領主蒔田家の援助を得て、日照山国分寺として再興されている。現存の五重塔は、江戸時代に再建されたもので、平成になって解体修理されている。

国分寺本殿

山門を入ると、正面に茅葺の客殿、東に本殿、西に庫裏・表書院が配置されている。西の庭には、丹精な松がそびえ、後ろに五重塔が青空に向けて突き抜けている。国分寺の南側を旧山陽道が通っており、交通の要衝であったと思われる。

桃の花と五重塔

五重塔を中心にした風景は、吉備路の象徴である。梅、菜の花、さくら、桃の花、れんげの花、水田、黄金の稲穂、柿、夕日、日の出と写真の題材に事欠かない。国分寺周辺の田畑・集落は、この景観を後世まで保存するように日々努力されている。ゴールデンウイークには、国分寺周辺で催し物が行なわれる。

相撲取山古墳

国分寺から自転車道を歩き、2車線429号を渡ると、西側正面が作山古墳である。
時間があれば、南に700mのところに角力取山古墳に訪れてみよう。田んぼの中に大きな松の木がそびえているので、すぐわかる。現在では、大松は1本のみであるが、すばらしい松なので見ておこう。全国でも珍しい方形古墳である。古墳の西側に土俵を設け、氏神の秋祭りに奉納角力が行なわれていたことから角力取山と呼ばれるようになったと言われている。

作山古墳

この散策で最初に訪れた古墳が造山古墳(岡山市新庄下)で、この古墳は作山古墳(総社市三須)である。岡山県下では、造山古墳に次いで第2位の規模である。古墳の裾野の道を、時計回りに歩き、西側の駐車場に出る。ここから、前方後円墳へ上がることができる小道がある。
丘陵の裾野に沿って北へ向かって歩き、総社宮へ向かう。

四国八十八カ所巡り

作山古墳および周辺の丘陵の裾野を一周して石仏が祭られている。石仏の傍らには、四国八十八ケ所の寺の名前が書かれた表札がついている。地元の方に祭っているいわれを尋ねると、「いつ頃かは、はっきりしないが、この地域に疫病がはやり、石仏を祭るようになった。」とのことである。石仏ごとに、それを祭る家が決まっているとのことである。歩きながら、四国八十八ケ所巡りをしているような気分になる。
2車線のバイパスを渡って、溝沿いを歩くと、市役所通りのパチンコ屋の角にでる。西に少し行ったところに、和菓子の平川がある。土産に饅頭を買う。洋服の青山を西に過ぎて、次の信号を北に曲がって、400m先に総社宮がある。

総社宮

総社は平安時代の律令制度の時に生まれた一国の合祀社で、各国に設置された。この地方は、中世に総社宮の門前町として発展し、社の総社が地名として呼ばれるようになった。江戸時代に立てられた本殿は、昭和52年の火災で焼失したが、長い回廊と平安時代の様式を残す三島式庭園の松は趣がある。
総社宮から西へ400m行くと東総社駅に着く。約4時間の道のりであったが、変化に富んでいて飽きさせないコースであった。


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