吉備津駅を降りて東へ歩くと、松並木が500mつづく吉備津神社の表参道に入る。多くの松並木が、松くい虫で消えていく中で、大切に保護されている。参道の朱塗りの欄干が、いろどりを添えている。
表参道の入り口は、旧山陽道と結ばれていて、西には板倉の宿があった。江戸時代には、宮内地区は、吉備津神社の直轄地で、神社の繁栄とともに門前町としてにぎわったそうである。
急な石段を上がり、北随神門をくぐって拝殿に出る。現在、拝殿および本殿の屋根葺替修復工事中で、しばらくは吉備津造りの大屋根の雄姿を見ることはできない。本殿の東側には、大いちょうの神木がそびえている。
祭神の大吉備津彦命と温羅(うら)伝説は、昔話「桃太郎」のモデルとも言われている。「古代の昔から、連綿と受け継がれてきた歴史の中で、人びとの信仰を集め、幾多の伝説をはぐくんできた吉備津神社」である。工事中なので、早々に南随神門から、不思議な曲線を描く有名な廻廊を降りる。


檜皮(ひわだ)葺きの大矢根は、50年に一度葺き替えられます。
今回の葺き替えは、平成17年から平成20年の約4年の歳月を費やして行なわれます。吉備津神社の本殿及び拝殿は1425年に建造されたもので、入母屋造りの屋根を前後に並べて中央を連結させた独特の様式で「吉備津作り」とも言われます。岡山県では数少ない国宝建造物です。
平成18年10月に、葺き替え工事の一般公開があり、葺き替え作業を見せていただきました。檜の皮を下から一枚一枚重ねて竹釘で止めていきます。写真撮影も許可されていましたので、吉備津神社に感謝しながら、貴重な資料として掲載しています。


平成12年2月に、完成まじかな檜皮葺きの大屋根の一般公開がありました。
整然と積み重ねられた檜皮葺き屋根の深みのある色合い、入母屋の屋根の曲線、軒付けの白壁・朱、金箔の装飾は、荘厳な趣をかもし出していました。
廻廊の両側に植えられている桜が、満開である。吉備津神社では、四季折々の花木を観賞できる。梅、つばき、桜、ぼたん、紫陽花、いちょう、紅葉・・・。 吉備津神社 四季の花
廻廊を背景にした桜は、写真スポットである。右に分岐した廻廊を進めば、温羅伝説につながるお釜殿至る。
廻廊をまっすぐ進めば、右側に弓道場とぼたん園がある。お釜殿の左側の門を出て、道路はさんだ宇賀神社(末社)へ回る。
水神を祭った瀧祭神社(末社)の横を通り、細谷川の登り口に着く。細谷川の春秋は、平安時代に多くの歌人に詠まれている。
真金吹く 吉備の中山 帯にせる
細谷川の おとのさやけさ
古今和歌集
鶯の なくにつけてや 真金吹く
吉備のやまびと 春を知るらむ
金葉集 藤原顕季
小学生の遠足で、細谷川の細道づたいに登ったことが思い出された。現在は、車が通るアスファルトの道が整備されており、いにしえの趣は残っていない。
御陵に通じる石段を登る前に、岡山県古代文化財センターに立ち寄る。古代の埋蔵物を中心に展示され、展示室入り口に、説明パネルが設置されいる。このパネルで古代山陽道、弥生時代の海岸線も知ることができる。吉備の中山の南(庭瀬)あたりは、海だったようだ。
石段を登ると広場にでる。大吉備津彦命をお祭りした前方後円墳の御陵がある。宮内庁が管理しており、手前の柵から中へ入ることはできない。広場では、家族連れの花見客が弁当を広げていた。この広場へは、吉備津から、庭瀬から、一宮からの三方向から登ることができる。
吉備の中山を縦走し、吉備津彦神社への山道をとる。古代石、環状石離を通り抜ける。中山には、古代の信仰の磐・石が散在する。急な坂を降りると吉備津彦神社の東側にでることができた。
吉備津彦神社の祭神は、名前の通り大吉備津彦命である。本殿、渡殿、祭文殿、拝殿と直線に配置された荘厳な造りである。本殿のみが元禄当時の建築物で、他の三殿は消失し、再建されたものである。
吉備津神社記をもとに、温羅退治の概要を記してみると、
「吉備津彦命が吉備の中山にやってきて地域の人たちにたずねると、阿曽の鬼城一帯の山に温羅という悪物たちがいて、部落の娘をさらったり悪いことばかりをすると訴えたので、命(みこと)はさっそく温羅退治をはじめた。
命の軍は吉備の中山に陣をしいて、鬼城一帯の温羅をめがけて弓を射る。

矢置岩(吉備津神社入り口)
これに対して温羅は命の軍へ大きな岩を投げつける。合戦はいつまでたっても勝負がつかない。そこで命は斥候(せっこう)を出して調査してみると、命たちの射る矢が温羅の投ずる岩と途中で衝突して鬼城まで達していないことがわかった。

矢喰の宮(岡山市高塚)
そこで今度は弓に一度に二本つがえて射たら、一本は岩と衝突したが、今一本は鬼城に達して、しだいに温羅はきづついていった。そして、鬼城の裏から流れる川は彼らの傷ついて流す血を吸い、はては、一面の浜が赤くそまった。温羅は遂に鯉にばけて川を下って瀬戸内海にのがれようとしたが、それを知った命は鵜にばけて、この鯉を喰ってしまった。」 というのである。

鯉喰神社(倉敷市矢部)
そして、それぞれの伝説にもとづいて、矢置岩・矢喰宮・血吸川・赤浜あるいは鯉喰神社などが生まれて、先人のおおらかでゆたかな人間性を伝えている。
出典:吉備路(神野 力:著)日本文教出版